DV問題 その8

女性の役割を従属的なものとする伝統は、徐々に、とくに社会の保守的な部分で変わりつつあります。


女性の虐待は法律で禁じられていますが、社会のしきたりは、家庭内での女性の身体への暴力を大目にみてきました。


サモアの村の家長会(fono)の権利と役割と伝統が、家庭内暴力事件への警察の介入を妨げ、村のこうした慣習が強く邪魔して、結局、被害者からの通報を阻止しているのです。


警察は虐待された女性からの訴えを受理しますが、家庭内暴力の加害者は、通常は、村の協議会によって処罰され、しかもそれは、虐待がひどすぎると思われたときに限るとされています。


この場合の「ひどすぎる虐待」とは、身体的虐待の目に見える痕跡のあるものをいいます。


なお、村の宗教的リーダーも、家庭内の争いに介入することができます。


サモアでは強姦(レイプ)事件は、いまも通報されないことが多いのです。


なぜなら、伝統や慣習がそれを思いとどまらせるからです。


それにもかかわらず、当局は、女性が警察に協力するようになるにつれ、通報される強姦事件の数も増えてきていることに注目しています。


裁判所に訴えられた強姦事件は、慎重に審理され、有罪とされた犯人は、しばしば、数年間の投獄という比較的厳しい判決を受けています。

DV問題 その7

政府の所有する、または政府の管掌する会社における政府の業務と仕事を除けば、女性は、雇用差別に直面しています。


平均して、女性の給料は、男性の給料の約47%にすぎないのです。


そのうえ、多くの女性には、パートタイムの仕事しかみつかりません。


この国では、労働人口の60%が不完全雇用ですが、この1,700万人のパートタイム労働者の大半が女性なのです。


人口の圧倒的多数がカトリック教徒であるこの国では、教会の離婚に対する反対は強力です。


けれども、法律の改正が婚姻の解消をかなり容易なものとし、離婚が行なわれる例も以前より頻繁になってきました。


しかし、裁判にかかる費用が高いために、大勢の女性は、離婚を選択することを妨げられてきました。


そして、それに代わって、「非公式の離婚」(永久別居)という慣行が、低所得の家庭では一般化しています。


こうした場合、妻は、通常、子どもとともに遺棄され、しかも、夫は、妻にほとんど、あるいはまったく金銭的な援助をしないのです。

DV問題 その6

大統領の直接の指揮下にある「フィリピン女性の役割に関する委員会」は、女性のための計画を調整することを任務とします。


この委員会は、フィリピンで1,000万人の会員をもつ「全国女性協議会」を含む、多数のNGOと密接に連絡をとりながら活動しています。


1997年には、この協議会はセミナーを開催し、また、暴力の犠牲者となった女性のために、病院内にクライシス・センター(緊急一時避難センター)を設置する計画の推進を援助しました。


「労働・雇用省」は、主要計画を推進するために、「女性・青少年局」を新設し、女性支援のための省の計画の優先順位をくり上げました。


1997年9月に国連開発計画(UNDP)が出した報告でも、フィリピン政府が女性のために機会のレベルを引き上げたことが注目されています。


けれども、政府の予算措置の不足と、いくつかの省での1992年の改正法の不十分な実施のため、この改革の効果は十分に発揮されていないのです。


1992年の改正法を提案した元女性国会議員は、政府機関がこの法律や大統領の命令を実施していないと批判しています。


DV問題 その5

セクシュアル・ハラスメントもまた問題となっています。


労働研究所による調査によると、職場でのセクシュアル・ハラスメントが広く行なわれているのに、被害者の(加害者への)遠慮と仕事を失うことへのおそれから届け出られないのだといいます。


特別経済区での女性労働者の労働条件について、あるカトリック教会が行なった調査によれば、監督する立場にある者によるセクシュアル・ハラスメントが広く行なわれているとのことでした。


女性はしばしば弱い立場にあります。


たいていの女性は、長時間の労働を要求される出稼ぎ労働者であり、彼女らが苦情を申し立てるのを援助できる、独立した労働者の組織(労働組合)は作られていません。


法律上は、男性に与えられている権利と保護の大半を女性も有しますが、事実上はそうではないのです。


1992年の「発展と国家建設における女性法」は、財産を売買する女性の権利についてのこれまでの制限を廃止しました。


この法律を実施するために、ラモス大統領は、女性の機会を促進する計画に、各政府機関が年間予算の5%を当てるよう指示しました。


DV問題 その4

多くの女性は海外での就職を求め、魅力的な仕事や、ときには外国人男性との結婚を手配する非人道的な斡旋業者による搾取に対して、とくに無防備です。


これらの女性の何人かは、売春婦として働くことになってしまったり、彼女らの外国人雇用主や外国人夫の手による虐待に苦しむことになるのです。


家庭内使用人や、芸能人や、モデルとして採用された女性たちは、海外にいる間は、大衆ショーやダンスに参加することを強制されますが、そうした出し物では、裸になることや、性行為を伴なうことが主な呼び物になっています。


他の女性たちは、仕事の内容を知りながら、両親や、子どもたちや、兄弟に送金するために、こうした怪しげな仕事を受け入れています。


政府は、このような違法な求人を終わらせようとキャンペーンをし、海外での仕事を求めている若い女性の年齢や教育水準や就業基準を引き上げることで、出稼ぎをやめさせようと努力してきました。


1995年の「移民労働者および在外フィリピン人法」は、政府に、これらの問題に取り組むためのより大きな財政措置とより強い権限とを付与しようとしました。


しかし、NGOは、これらの措置が、まだ十分ではないとすることで意見が一致しています。

DV問題 その3

フィリピンの多くの女性は、売春婦にするための女狩り(それもしばしば詐欺によるもの)によって集められ、暴力にさらされています。


売春は、違法ではありますが蔓延しています。


国連児童基金(ユニセフ)と共同で活動しているある有力なNGOは、30万人の女性が売春に従事していると推定しました。


売春の罪に対する刑罰は軽いのですが、拘禁された売春婦は、行政上の権利停止(Administrative indignities)の対象となります。


女性団体は、売春婦を搾取した者、すなわち、「娯楽クラブ」の経営者とその従業員の双方について、科刑を手加減した地方公務員を訴追するよう要求してきました。


これらの女性団体は、(娯楽)クラブや売春宿の閉鎖といった、やたらと派手な政府の宣伝についても批判的です。


というのは、このようなやり方では若い女性を虐待から救出することにならないからです。


1997年4月、ラモス大統領は、旅行代理店がマニラの北にあるアンジェレス市でのセックス・ツアーを宣伝するために、インターネットを使用したという新聞報道をみて、(娯楽)クラブや売春宿への警察の手入れを命じました。


しかし、この手入れから数日後には、これらの違法な施設は営業を再開していたのです。


観光省は、この年の5月、マニラで世界観光旅行会議を主催し、セックス・ツアーへの非難も含め、観光旅行が社会に与える影響についての宣言を採択するよう精力的に工作しました。


ホテルや旅行業界のリーダーたちは、セックス・ツアーのような慣行をやめさせようとするフィリピン政府に協力することを約束しました。

DV問題 その2

フィリピンでは、強姦(レイプ)も今なお重大な問題です。


警察に通報のあった強姦件数は、1997年の前半で22%上昇し、1,466件に達しました。


この年の9月、議会は、強姦に関する法制を大幅に改め、強姦を以前のように民法に基づいてだけ処罰できる貞操についての罪とするのではなく、刑法に基づいて処罰できる人身に対する犯罪に分類しました。


女性は、もはや、自分が強姦されたと法的に主張するために、自分が処女であったとか、ふしだらな女ではなかったとかいったことを、立証する必要がなくなったのです。


殴打についてと同様、政府職員は、強姦の告発数の増加も人々の態度の変化に原因があるとしています。


広く知られている事件に、11歳の少女が国会議員を強姦で告発したという事件があります。


メディアの集中的な報道が、この事件を起訴せざるを得ないところにまで追い詰めました。


この国会議員は、1997年1月以降勾留されており、また、彼のマニラでの裁判は、年末も継続中です。


女性団体は、1993年に復活した死刑が、被害者、とくに近親間の強姦による若い被害者に告訴をためらわせることになっていると考えています。


強姦に対する有罪判決は死刑判決となりえますし、また現実にも、しばしばそうなっているからです。

DV問題

女性に対する暴力、とくに家庭内暴力は、深刻な問題です。


女性の権利の擁護者は、家庭内暴力の発生原因のいくつかとして、家庭内暴力についての法律がないこと、倫理基準の二重性、家族内の私的な問題を議論するのを好まないという態度が、伝統的に社会にあることなどを挙げています。


法律に基づく離婚がないことと、(女性に)就職の機会のないこととが相まって、貧しい女性からも裕福な女性からも、破綻した夫婦関係から逃れる力を制限しているのです。


それにもかかわらず、女性の権利の擁護者は、女性たちが、恥辱感や恐怖や「家族の名誉」を守ろうとする欲求を抑え、ジェンダーの平等の実現へ向けての積極的な運動のために、より大きく声をあげるようになってきたといいます。


NGOとの連携を図りながら、政府の女性福祉局は、さらなる傷害と危険な状態から女性被害者を保護するため、臨時のシェルターを設立しました。


この局の職員は、政府のこうした措置が、(女性たちの)態度の変化と相まって、殴打の通報数の増加(1996年中と1997年の前半に急速に増えた)を説明するものと考えています。


この局も、フィリピン国家警察(PNP)も、女性を保護するための「女性救援デスク」を設け、(女性に対する)犯罪を通報するように奨励しています。


警察署には男性警官と同様に女性警官もいますが、これらの警官は、NGOの援助も得て、性犯罪や家庭内暴力の犠牲者に対応するために、ジェンダー問題について対応する訓練を受けています。

九州の玄関・・・門司港駅JR九州 鹿児島本線3

昭和十七年(一九四二)の関門トンネルの開通まではここが「門司駅」で、駅のホームから地下道を通って関門連絡船の桟橋と直結し、最盛期には連絡船が一日五十二往復もしていた。

ちなみに明治二十四年(一八九一)の開業当時はもっと山側に駅があり、列車が着くと夕ーミナル駅らしく広々とした構内に階段はない本州に向かう乗客が桟橋まで歩いていた。

その道の両側には土産物屋が立ち並び、バナナのたたき売りが名物だったという。
駅前の通りには「バナナのたたき売り発祥の地」の碑が建てられている。

現在門司港駅は、門司に残るレトロ建築群のシンボルとされ、一階にはステーキハウスが入居し待合室も復元された。
またかつて食堂があった二階は展示ホールとして利用され、駅前には噴水の公園が設けられている。

九州の玄関・・・門司港駅JR九州 鹿児島本線2

日本では珍しいほどヨーロッパの血が濃く流れるターミナルで、大理石の男女別洗面所やトイレの真鍮製の手洗い鉢、かつては電信室や貴賓室など長距離旅行者のための設備が整っていた。

この駅舎のモデルは一般にローマのテルミニ駅とされているが、明治四十二年(一九〇九)に完成した二代目の博多駅を模したもので、国有化以前の九州鉄道の社長仙石貢のヨーロッパ趣味が元になったものという。

九州の古い駅舎が全体にバタ臭く毛深いのは案外このあたりにあるのかもしれない。