都市はどう変わっていくのか 4

研究所だけでなく、製品開発をする工場も一緒になった高度な技術開発の団地になるでしょう。


木更津市は千葉県がそういう期待をしている場所です。


川崎市を中心に考えてみると・・・


川崎駅裏の東芝工場から東京湾横断道路を通って木更津市の奥の丘陵地にある工場にゆく距離は、ちょうどその反対にむかって、川崎駅から多摩川をさかのぼり、府中市の東芝工場あるいは日野市の日野自動車工場にでかけてゆく距離とほぼ等しいものです。


川崎市の多摩川沿いをさかのぼり、さらに東京都の三多摩地域におよぶ細長い地域には、先端的な技術を使って付加価値の高い製品を作る工場が、無数に展開しています。


木更津も時間距離からいくとそこと同じくらいの距離です。


したがって先端技術を駆使する工場や研究所が数多く木更津市に展開することは十分に考えられます。


ところが、このような試作工場や研究所用の土地が多摩川沿いの地域にまったくなくなり、木更津市にしかその用地取得の可能性がないかというと、必ずしもそうではありません。


多摩川流域の奥には、首都圏中央連絡道路がこれからつくられようとしています。


それは八王子から昭島、青梅を通って埼玉県の中央部へ入っていく自動車専用道路です。


その道路沿いにはまだ先端型の工場が立地するにふさわしい丘陵地がたくさん残っています。


ここにはたくさんの花 種も残っているのです。


都市はどう変わっていくのか 3

東京湾横断道路は、木更津周辺の土地利用を変えるということもあります。


しかしさらに重要なことは、この道路ができることによって、東京から南房総への交通が改善されるということです。


外房がリゾート基地として、その質を高めることに、この道路は大きく貢献するという主張は理解できます。


千葉県の基本計画では、木更津自体について、三角都市構想の一角として位置付けています。


三角構想というのは成田と幕張と木更津、この3都市を千葉市の外側に特色を持たせて配置するという考え方です。


成田は国際空港関連の都市にするのです。


幕張は業務核都市として東京を支える新しいオフィス都市にします。


木更津は研究開発都市にします。


・・・このような考え方です。


木更津市およびその周辺には新日鉄を始めとする大企業がかなりの土地を持っています。


これらの土地はなだらかな丘陵地帯にあり、丘の上はゴルフ場になっています。


そのゴルフ場の下の丘陵地を造成すれば、環境の良い研究所団地になるのです。

都市はどう変わっていくのか 2

通行料が高いのでトラックが橋を通らずに、運賃の安いフェリーに乗ってしまうからです。


それと同じように房総半島から京浜地域に野菜を運ぶトラックは、東京湾横断道路を使うよりも、少し朝早く家を出て、今までどおり千葉市を回って東京へ持っていった方が、高い通行料金を支払わないから良いということになるかもしれません。


そういう点で、木更津がどのように変化するかは、産業面からみると東京湾横断道路の通行料金に支配されることになります。


・・・つまり木更津周辺の農業がより近代化されるか否か、そこに工場ができて技術水準の高い京浜工業地帯の一部が新しく形成されるか否か・・・


そのような第一次産業と第二次産業の土地利用変化を支配するのは、東京湾横断道路の通行料金です。


ところが木更津市の変化は、そのような生産面のみによって考えるべきではないという意見もあります。


つまり東京湾横断道路は、まず東京の人々のリクリエーションに使われるという主張です。


東京に住んでいる人々にとって一番憂欝なことは、盆暮れを始めとする連休の際、東京から脱出する時に遭遇する交通渋滞です。


この交通渋滞は毎年ひどくなる一方です。


海水浴に行くとき、埼玉県から神奈川県まで延々と交通渋滞にぶつかり、乗用車のなかで家庭騒動がもちあがってしまうという話はよく聞くところですよね。


・・・それを考えると、東京湾横断道路が一番使われるのは一次産業、ニ次産業の物を運ぶということではなくて、交通渋滞を避けて南房総へ非常に簡単に行けるリクリエーション目的であるという意見は重視してよいでしょう。

都市はどう変わっていくのか

東京湾周辺のこれからの土地利用について概観してみます。


木更津から東京湾を反時計まわりで眺めてみましょう。


木更津がなぜ重要な場所になるかというと東京湾横断道路の到着地点だからです。


房総半島の南半分の地域から東京にゆくためには、今までのところ、千葉市を通り大きく迂回しなければなりません。


しかし横断道路を使えば、東京都心部まで自動車で30分くらいで行けるようになります。


時間が3分の1に短縮されるわけです。


しかし、東京湾横断道路は有料道路で、通行料金が非常に高くなるでしょう。


それはこの道路をつくるために必要とされる膨大な投資を、通行料金でかえしてゆかなければならないからです。


おそらく片道4、5千円はかかることになるでしょう。


その通行料金が首都高速道路のように600円ということは絶対にないですね。


仮に乗用車の通行料金が5千円とすると、野菜を運ぶトラックは7千円くらい支払わなければなりません。


これと同じ話が瀬戸大橋にあります。


瀬戸大橋は予想よりも交通量が少ないのです。

"限界をもつ小さな池"としての東京湾

東京湾をいろいろな面から考えると、湾としてみるよりも、東京や神奈川、千葉県の人達が非常に大事に使わなければならない小さな池だと考えた方が正しいでしょう。


しかもその池にある水がどんどん新しく変わっていくのではなく、なかの水はゆっくりとしか変わらない池として認識したほうがいいでしょう。


そういう池の水質を良くしながら、水面を将来にむけて有効に使うためにはどうしたらよいかという見方で、東京湾を取り扱ってゆかなければなりません。


もちろん大切に使うとしても、池をただそのままにしておいてもよいかというとそうではありません。


場合によっては真中に島をつくって、高度な土地利用をそこに展開する必要もあるでしょう。


あるいはみんながそれを眺めて喜ぶ緑の島にするという使い方もあるでしょう。


池の底にはヘドロがたまっています。河成鎮美子さんによると、その問題を抱えて、それを良くしながら、なおかつ池として十分機能するようにしなければなりません。


そういう点では、東京湾の環境を良くするために、いろいろの先端的な技術を駆使しなければならなくなってきます。


ただ単に放置しておけば良いということではありません。


技術と資金を思いきって東京湾に投入し、東京湾がこれ以上悪くならないようにしながら、今後何百年もこの限られた空間を大事に、しかし高度に使うことについて、真剣に考えなければならない時期になってきました。

東京湾と都市計画 2

それと同じように、液化ガスや石油の取り扱いバースを外房や3浦半島の地先に設け、タンカーはそこで油や液化ガスをパイプラインに移し替えます。


これらのパイプラインは東京湾内の各工業地域を環状に結びつけるのです。


・・・このようにすれば、東京湾内で液化ガスや油を取り扱うことがなくなりますから、それらを原因とする大災害がおきる危険性はなくなってきます。


早稲田大学のある教授はこの発想をすでにかなり以前から提起しています。


九十九里浜沖合に第二東京港をつくったり、液化ガスや油のパイプラインを東京湾の外側に出すという考え方は、現在のところあくまでも構想の域を出ないが、現実的な提案も動き始めています。


・・・たとえば、茨城県の那珂湊に非常に大きな旧陸軍の射撃練習場がありました。


その土地を使って港を埋め立てによってつくり、そこに東京湾へ入る貨物船の一部を負担させます。


そこから貨物を北関東横断自動車道を使いながら関東地方や東北方面に振りわけていきます。


大型貨物船はなるべく那珂湊を使って東京湾へ入れないようにするという案は、現実的な話として動き出しています。

東京湾と都市計画

九十九里浜のきれいな渚を今のまま残して、その何キロか沖合に人工島をつくり、そこで外航貨物を取り扱うという提案があります。


この人工島と内陸部はトンネルで結びつけられ、鉄道や道路を通すのです。


そうすれば物流は千葉県の外側から東京に入る形になります。


東京港を東京内港とこの東京外港の2つに分けて考えることになります。


東京湾の港湾物流のかなりの部分は外に持っていくということです。


そうなれば、現在の千葉港の物流機能の大部分はそちらに持っていかれ、千葉・習志野・船橋各市の港湾地域は絶好の都市再開発の候補地になってくるでしょう。


素晴らしい住宅地として生れ変わるかもしれません。


東京湾内で、タンカーや液化ガスを運んでいる船が衝突すると、湾内が油だらけになったり、ガスの拡散で大変危険な状態になります。


そういう危険性を避けるためにも、油や液化ガスを受け入れる施設は東京湾の外につくるという考え方があります。


すでに東京電力の横須賀火力発電所では、原油の供給を東京湾の外で行っています。

義賊・運玉義留の物語

現在、沖縄ツアーなどで観光客に大変な人気のある沖縄ですが、この島はかつて大飢饉に襲われたことがあります。


その大飢饉に苦しむ民人を救ったのが運玉義留(うんたまぎるー)です。


「義留!」


と、親方に呼ばれて、縁がわの前の庭にうずくまりました。


「かたかしら(頭の髪)を結え」


との言いつけで、縁に上りました。


しばらく髪を結ってから、「親方様、教えて下さいませんでしょうか」


「うむ、何だ」


「はい、私ども百姓でも、目から血の出る程書物を読み、身を粉にして働けば、どれ位まで立身出世できますでしょうか」


「ははは……義留、またどうしたのだ」


「いいえべつに……」


「そうだな、掟(村役人)、捌理(助役)までならようやく、地頭代(村長)までだ」


「やっと地頭代まででございますか」


「蛙の子は蛙で、お前ら百姓はいつの世までも百姓だ」


義留の髪を結う手もしばらく止まりました。


結いおわって、かたづけてから、義留は親方に両手をついて、


「親方様、お願いがございます」


「改めて何だね」


「はい、わたくし今日限り、おひまをいただきとうございます。お許し下さい」


「うむ、やぶからぼうにどうしたのだ」


「思うことがございまして」


「何事か、申してみよ」


「私どもは、生れ変ってきても百姓にしかなれないというなら、少し考えてみたいところがございます」


「いくら思っても、考えても、おろかなことよ、はっはっは……」


「立身出世して、お目にかけます」


「はっはっは……、百年も笑いとうなるわ。馬の子は所詮、馬の子よ、高望みするものじゃないぞ」


義留は、心の中で「今に見ろ!」と決意しました。


「どうせ地頭代ぐらいまでなら、こんな世の中、大泥棒にでもなって、貧しい民百姓に分けてやるのが生きがいもあろうというものだ」


・・・こうして、義留は親方の所からいなくなったのです。

知的特性と志向

「男性文化」に対抗する形で「女性文化」を唱えたのは、ウーマンリブの側です。


その両者の間に「本質的な差」があるのかどうかは、「文化」というもののとらえかたにもよることで、確言できません。


ただし、ビジネスの世界の日常のなかで、ともに働く仲間として男と女を比較した場合、いわば「知的な特性」と「志向」において、かなりの差異が感じられます。


端的ないいかたをすると、ビジネスウーマンとして相当の立場にある人でも、ときに「モノ知らず」ではないか、と感じさせられることがあります。


こんないいかたに対して、すぐにも反論が出てくることは、私もよく知っています。


たとえば「モノ知りの程度は個人差であり、男にだってモノ知らずはたくさんいる」といった反論もあるでしょう。


それは、そのとおりのようですが、私があらかじめ「ビジネスウーマンとして相当の立場にある人でも」と書いていることに注目してほしいのです。


人間集団の比較に当たっては、なるべく同じ水準のグループを選んで比較すべきです。


「優秀な女性たち」と「優秀でない男性たち」を比較するのは、適切ではありませんし、その反対も不当です。


そして私は、派遣 千葉などのビジネスの世界で「相当の立場にある」男女を比較して、「モノ知らず」の論を出しているのです。

リサイクルと社会

今回は、リサイクルと社会について。


障害者にごみの選別施設で働いてもらおうという動きが東村山市でありました。


これはリサイクルトナーのようなリサイクルと福祉を結合させようというすばらしい考えのものですが、そこには困難な問題も少なからずありました。


まず、三つの障害者の間では障害をめぐる基本的な考え方が一致しているわけではなく、さまざまな利害や対立が存在し、さらには福祉行政の機構や施策がタテ割であることもあって、団体間のヨコのコミュニケーションや相互理解が充分ではないからです。


さて、当の選別施設は88年末に完成し、89年春から稼動に入りました。


その後、施設は小規模授産所として都の補助金も受けられるようになりました。


建物は一階がびん・缶の選別作業所、二階が事務室、休憩室、三階がリフォームなどのための多目的ホールとなっています。


選別の方法は、缶は磁石による選別、びんはベルトコンベアを使った手選別による回収です。


びん・缶のそれぞれの選別ラインに障害者4名、指導員1名が従事し、さらに作業所では2名の市職員と4名の高齢者事業団のお年寄りが身障者の仕事を補う形で働いています。


作業は毎週火~金で、1ヵ月16日間、時間は午前10時30分から午後3時までで、工賃は時間給400円です。


こうして、国のタテ割制度や、従来の障害者団体間の思惑や利害の相違を超えて、ここ東村山市のリサイクルセンターでは肢体不自由者、精神薄弱者、それに精神障害者の共同作業が始まりました。


彼らはこうして時には自分たちの施設(授産所)を出て外の空気に触れながら、これまでとは異なった仕事に従事することに大きなよろこびを感じ、実に生き生きとした作業をしています。


ここでは障害者は障害の違いを超えて仲間となり、さらにはセンターに出入りする多くの市民と触れ合う機会を持つことができるようになったのです。